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大阪地方裁判所堺支部 平成5年(ワ)1588号 判決

原告 甲野春子

同 甲野太郎

右両名訴訟代理人弁護士 松本藤一

被告 医療法人光仁幸会乙川産婦人科

右代表者理事長 乙川次郎

被告 乙川次郎

右両名訴訟代理人弁護士 前川信夫

主文

一  被告らは、原告ら各自に対し、連帯して、各金二八七六万四七〇八円及びこれらに対する平成四年六月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告ら各自に対し、連帯して、各金四七八四万七九五二円及びこれらに対する平成四年六月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告らが、被告医療法人光仁幸会乙川産婦人科の経営する病院において出生した原告らの子である甲野三郎に脳性麻痺の障害が残り、その後、死亡したのは、被告らの分娩監視に過失があったためであるなどと主張して損害の賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  当事者

(一)(1) 甲野三郎(以下「三郎」という。)は、平成四年六月一七日、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)と原告甲野春子(以下「原告春子」という。)との間の子として出生した。

(2) 三郎は、平成一一年一月一三日、死亡した(甲三六)。

(二)(1) 被告乙川次郎(以下「被告医師」という。)は、昭和五二年に昭和大学医学部を卒業後、昭和大学医学部医局、東芝中央病院等勤務を経て、昭和五九年五月から父の経営する乙川産婦人科に勤務し、その後、右病院を引き継ぎ、平成四年一月にこれを医療法人化して被告医療法人光仁幸会乙川産婦人科(以下「被告法人」という。)を設立した(被告乙川次郎)。

(2) 被告法人は、肩書地において乙川産婦人科(以下「被告病院」という。)を開設しており、被告医師は被告法人の代表者理事長を務める医師である。

2  事実の経過

(一)(1) 原告春子は、平成三年一〇月二三日、被告病院で初診を受けた。原告春子は、当時二七歳で初産婦であり、既往に胃潰瘍の病歴があり、妊娠初期に中程度のつわりや風邪の症状はあったが、妊娠経過に問題はなく、胎児超音波検査においても平成三年一二月二日(妊娠一二週二日)には頭殿長が五二mm、平成四年(以下、特段の断りのない限り、平成四年のこととする。)二月五日(妊娠二一週四日)には、大腿骨長が三六mm、児頭大横径が五二mmであって、胎児の発育は、妊娠週数相当であった。

(2) 妊娠後期にも、六月一一日の検血所見で血色素量一〇・四g/(正常値一一・〇以上)とやや貧血を認めたが、妊娠中毒症等の所見もなく、妊娠経過は順調であった。

(3) 六月五日(妊娠三八週五日)の妊婦検診において、子宮底長が三四・五cm、胎児先進部がステーションマイナス三、真結合線一三・〇cmで、経膣分娩可能と判断された。

また、この時点での子宮頚管の熟化度を示すビショップ・スコアは、合計三点であり、子宮頚管熟化不全と判断され、六月一一日、子宮頚管熟化剤であるマイリスが静脈注射された。

(二)(1) 原告春子は、六月一六日(妊娠四〇週二日)午後九時一〇分ころ、産微(少量の出血)とともに陣痛が始まり、翌一七日午前二時一五分ころ、被告病院に入院した。入院時の血圧は、一五〇/八八であった。

(2) 入院後、グリセリン浣腸が施行され、午前三時一〇分に分娩監視装置が装着され、胎児心拍数モニタリングが開始された。

この時点での基線胎児心拍数(陣痛間欠期の胎児心拍数)は一二〇ないし一六〇bpmの正常範囲内にあり、基線細変動や一過性頻脈も認められ、胎児は健康と判断された。

(3) ところで、分娩監視装置上、午前三時三一分ころに、心拍数の一時的な低下が認められ、午前四時二〇分ころ及び午前四時三七分ころに、最低心拍数が一〇〇bpm以下、持続時間二分前後の徐脈が認められた。

(4) 午前六時三五分に陣痛発作が三〇秒、間欠が二~三分となり、子宮口はほぼ全開大し、展退度が九〇%、子宮頚部の硬さが軟、子宮口の位置が中央となったが、児頭はステーションマイナス一、ビショップ・スコアは一二点で、陣痛や軟産道には問題はなかった。

(5) 午前七時二八分の内診の結果、胎児の大泉門が先進して母体の左前方にあり、小泉門が右後方にあって、第二前方前頭位という児頭回旋異常(反屈位)が発生していた。

(6) 分娩監視装置上、午前六時五五分ころから変動一過性徐脈が発生し、午前七時〇四分ころから、一〇〇bpm以下の高度徐脈が発生し、いったん回復した後、午前七時三五分ころから再び徐脈となった(それぞれ、徐脈の程度、回復の有無・程度については、争いがある。)。

(7) 胎児心拍数の低下に伴い、被告医師ないし被告病院の看護婦らは、原告春子に対してクリステレル圧出法を行い、その後、吸引分娩を試み、吸引が滑脱した後、午後八時二〇分に、鉗子分娩によって三郎が分娩された。

(三) 三郎は、出生直後のアプガースコアーは三点で、重症仮死の状態にあり、被告医師が蘇生術を施した結果、午前八時三二分に自発呼吸が発来した。

その後、三郎は愛染橋病院に転院した。

三  原告らの主張

1  被告医師の責任

(一) 被告医師は、午前七時二八分に、帝王切開に踏み切るべきであった。

すなわち、本件においては、午前七時二八分の段階で、回旋異常が判明しており、回旋異常の場合は、分娩遷延が知られているのであるから、既に午前六時五三分や午前七時〇四分から同一七分までの間に徐脈を発生させていることを考え併せると再度の徐脈の発生を予想し、午前七時二八分の段階で帝王切開を決断すべきであった。

その際には、胎児にストレスをかけることを避けるため、アトニンOを投与せず、併せて経母体治療で胎児心拍数の改善を図りながら、帝王切開の準備をすれば、四〇分ないし一時間の時間を稼ぐことは可能であった。

また、午前七時二八分の段階でステーション+一であるとしても、帝王切開は十分に可能であった。

(二) 午前七時二八分に帝王切開に取りかからないとしても、その段階で直ちに急速遂娩、すなわち、吸引分娩ないし鉗子分娩に取りかかるべきであった。

(三) 仮に、七時二八分に帝王切開に踏み切らなかったとしても、遅くとも七時四〇分には、帝王切開の決断をし、アトニンOの投与を中止し、経母体治療で胎児の状態を改善しながら準備が出来次第帝王切開を実施するべきであった。

(四) そうすれば、三郎の新生児仮死の結果としての低酸素性虚血性脳症による脳性麻痺は避けることができ、また、死亡することもなかった。

(五) しかるに、被告医師は、(1) 午前七時二八分ころの児頭が高い段階から、クリステレル圧出法を施行して、胎児胎盤循環を悪化させ、胎児を低酸素症にさせて胎児仮死を憎悪させ、(2) 適切な分娩監視を怠り、胎児の状態の悪化を見落とし、午前八時一五分ころになって初めて胎児の危険な状態を察知し、あわてて、吸引分娩を施行し、二回滑脱の後に鉗子分娩を行ってやっと娩出に成功したのであるから、被告医師の分娩監視には過失があるといえる。

(六) 被告医師の行為は被告法人の履行補助者としての診療契約上の債務不履行、ないし不法行為における過失があるということができる。

2  因果関係

(一) 午前七時二八分に帝王切開に踏み切るか、遅くとも午前七時四〇分に帝王切開の決断をし、経母体治療で胎児の状態を改善しながら準備が出来次第帝王切開を行っていれば、三郎の新生児仮死の結果としての低酸素性虚血性脳症による脳性麻痺は避けられ、また、死亡することもなかった。

(二) また、同様に、午前七時二八分の段階で急速遂娩をしておれば、三郎の障害は防ぐことができた。

3  被告法人の責任

(一) 債務不履行

前記のとおり、被告医師の行為は、被告法人の履行補助者として行われたものであるから、被告法人の債務不履行に当たる。

(二) 不法行為責任

被告法人は、被告医師の前記不法行為について、民法四四条一項により、損害賠償責任を負う。

4  損害

(一) 三郎の損害

(1) 逸失利益 二五九七万六二七八円

平成九年度の賃金センサス・産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・一八歳ないし一九歳の平均年収を二五五万四九六〇円とし、就労可能年数を四九年とし、生活費控除を四〇%として、新ホフマン式で計算する。

二五五万四九六〇円×一六・九四五×(一-〇・四)=二五九七万六二七八円

(2) 慰謝料 二五〇〇万円

三郎は、脳性麻痺、てんかんに罹患し、その一生を治癒不能の重症心身障害者として生きなければならない状態に置かれ、それのみか、右疾病を原因として、生命まで失うことになった。右苦痛を慰謝するには二五〇〇万円が相当である。

(3) 介護費用 二四〇二万円

三郎は佇立ができず、食事・排泄・入浴等の日常の起居動作について全面介助を要する状態であり、また、精神・知能活動もゼロに等しく、この状態は生涯続くものであった。

介護費用としては、日額一万円として、三郎が出生した平成四年六月一七日から死亡した平成一一年一月一三日までの期間(二四〇二日)を算定する。

一万円×二四〇二日=二四〇二万円

(4) 右合計 七四九九万六二七八円

(二) 原告らの損害

(1) 相続

原告らは、三郎の右損害賠償請求権を各二分の一(三七四九万八一三九円)ずつ相続した。

(2) 慰謝料

原告らは、三郎の出生の喜びも束の間、一転して重症心身障害者を抱える身となった。その精神的苦痛は筆舌に尽くしがたく、右両名の苦痛を慰謝するには、少なくとも各自五〇〇万円が相当である。

(3) 葬儀費用

三郎が平成一一年一月一三日に死亡したことに伴う葬儀費用は、少なく見積もっても二〇〇万円を下らない。右金員を原告らが二分の一ずつ負担した。

(4) 弁護士費用

被告らに負担させるべき弁護士費用は、原告ら各自四三四万九八一三円が相当である。

(5) 右合計 各自四七八四万七九五二円

5  よって、原告らは、被告らに対し、被告医師については、不法行為に基づく損害賠償請求として、被告法人については、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求として、原告ら各自に対し、各金四七八四万七九五二円及び不法行為の日である平成四年六月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  被告らの主張

1  被告医師は、午前七時二八分ころ、児頭の回旋異常を認め、それまでに破水後の一過的徐脈もあったことから、胎児を急速に遂娩させるのが相当と判断し、そのころから、吸引分娩の実施が可能なところまで児頭を下降させる目的で、急速遂娩の一方法に相当するアトニンO点滴とクリステレル圧出法を開始し、吸引器の装着が可能な位置まで児頭が下降した午前七時五〇分ころから、吸引分娩を実施し、五、六回吸引を試みたところ、最後の二回が滑脱したので、午前八時一五分ころ、吸引分娩を中止し、鉗子分娩に切り換えたのである。

2  帝王切開術は、母体に対する侵襲が大きく、危険性も孕んでいる上、市中一般開業医である被告病院で実施するとすれば、最低応援医一人を確保しなければならず、運良く確保しえた場合も実施までには一時間前後、なかなか確保できなければ、いつ実施できるか分からぬという他人任せの不確定要素がつきまとうのに対し、吸引分娩は母体に対する侵襲も少なく、医師一名で実施しうる上、吸引カップが児頭に装着さえできれば、通常、三、四回、多くとも五、六回以内で娩出しうると判断するのが臨床現場の常識である。

3  以上からすれば、経膣分娩による急速遂娩を選択した被告医師の判断は、その時点の判断としては、誤っていない。

五  争点

1  被告医師の原告春子に対する分娩監視に不適切な点があるかどうか。

2  原告らの損害額

第三  当裁判所の判断

一  前記争いのない事実等及び証拠(甲一ないし一六、一八ないし三八、乙一ないし七、証人高橋美智子、証人神崎徹、原告甲野太郎、原告甲野春子、被告乙川次郎、鑑定)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

1  事実の経過

(一) 原告春子は、平成三年一〇月二三日、被告病院で初診を受け、妊娠六週四日と診断され、出産予定日は平成四年六月一四日とされた。

その後、原告春子は定期的に被告医師の診察を受けていたが、妊娠初期に中程度のつわりや風邪の症状はあったが、妊娠経過に特に問題はなかった。

六月五日(妊娠三八週五日)の妊婦検診において、子宮底長が三四・五cm、胎児先進部がステーションマイナス三、真結合線一三・〇cmで、経膣分娩可能と診断された。

また、この時点での子宮頚管の熟化度を示すビショップ・スコアは、合計三点で、子宮頚管熟化不全と判断され、六月一一日、子宮頚管熟化剤であるマイリスが静脈注射された。

(二)(1) 原告春子は、六月一六日(妊娠四〇週二日)午後九時一〇分ころ、産微(少量の出血)とともに陣痛が始まり、翌一七日(以下、特に断りのない限り、平成四年六月一七日のこととする。)午前二時一五分ころ、被告病院に入院した。入院時の血圧は、一五〇/八八であった。

入院後、グリセリン浣腸が施行され、午前三時一〇分に分娩監視装置が装着され、胎児心拍数モニタリングが開始された。

胎児心拍数については、午前三時四五分ころまでは、特段の異常は認められなかったが、午前三時四五分から午前五時三〇分ころまでの間に、一過性徐脈と遷延性徐脈が起こったが、基準心拍数が一定で、一過性頻脈も認められたことから、胎児の予後に影響を与えるような異常は認められなかった。

その後、午前六時二六分ころまでは、胎児心拍数に異常は認められなかった。

(2) 午前六時三五分に当直の竹村昌彦医師から被告医師に担当が代わり、被告医師が原告春子を診察したところ、陣痛発作が三〇秒、間欠が二~三分となり、子宮口はほぼ全開大し、展退度が九〇%、子宮頚部の硬さが軟、子宮口の位置が中央となったが、児頭はステーションマイナス一、ビショップ・スコアは一二点、胎胞(+)であった。

そのころ、被告医師は、原告春子を分娩室へ入室させた。

胎児心拍数については、午前六時二六分ころ、同四八分ころ、同五二分ころにそれぞれ、変動一過性徐脈が認められたが、胎児低酸素の徴候は認められなかった。

(3) 午前六時五三分ころ、人工破膜を行ったところ、羊水は緑色で混濁は(++)であった。そのため、被告医師は原告春子に対して酸素を三リットル投与し、点滴ルートを確保してブドウ糖の点滴を行った。さらに、子宮口開大目的でブスコパン及びマイリスを投与した。

人工破膜の後、胎児心拍数が今までとは異なったパターンで急激に低下し始め、八〇bpm以下になることもあったが、午前七時ころには、胎児心拍数はいったん回復したものの、午前七時〇四分ころから、再び、徐脈が発生し、午前七時一七分ころまで、八〇ないし一〇〇bpmまで低下する持続的な徐脈ないし遅発一過性徐脈が発生した。そこで、被告医師は、午前七時一〇分ころ、原告春子にメイロンを投与した。

午前七時一七分ころには、胎児心拍数が一二〇ないし一六〇bpmにやや持直したが、午前七時二四分ころから同三〇分ころまでに、再び、胎児心拍数が一〇〇bpmを下回る一過性の徐脈が数回連続して起こり、その後、午前七時三〇分ころには、再び、胎児心拍数は、一二〇ないし一六〇bpmに回復した。なお、午前七時三一分ころから同三三分ころまでは、分娩監視記録上、陣痛発作が起きていないため、そのため、胎児心拍数の低下がなかったのではないかと推測される。

(4) 午前七時二八分の内診の結果、胎児の大泉門が先進して母体の左前方にあり、小泉門が右後方にあって、第二前方前頭位という児頭回旋異常(反屈位)が発生していた。なお、このころ児頭の位置はステーション±〇~+一であった。

被告医師は、人工破膜の際に羊水が混濁していたことや、その後の胎児心拍数の低下、回旋異常の存在等から、なるべく早く胎児を娩出させる必要があると考えたが、未だ、児頭の位置が高く、被告医師としては、吸引分娩も鉗子分娩もできる位置ではなかったため、児頭を下げるためにも、アトニンO五単位を投与し、また、被告医師がクリステレル圧出法を、その後、看護婦の大久保美智子(現姓高橋)が被告医師に代わってクリステレル圧出法を施行した。

(5) クリステレル圧出法施行の影響か、午前七時三四分ころから、胎児心拍数が再び低下し始め、そのころから、胎児心拍数のベースラインが八〇bpmに低下する遷延性徐脈ないし持続的な徐脈が発生し、午前七時四四分ころから同五〇分ころまでの間に胎児心拍数は一〇〇ないし一四〇bpmへとやや回復したが、午前七時五〇分ころからは、八〇ないし一〇〇bpmに持続的に低下し、午前八時〇八分ころからは、八〇bpm以下の徐脈が持続し、細変動も減少してきた。

(6) 被告医師は、午前八時一〇分すぎころから、吸引分娩に取りかかり、吸引を二回試みたが、二回とも滑脱したため、鉗子分娩に切り換え、午前八時二〇分ころ、鉗子分娩によって、三郎を娩出した。鉗子分娩を試みたころには、ステーションは+二くらいであった。

(三) 三郎の出生後一分ないし五分のアプガースコアーは、それぞれ三点で、重症仮死の状態にあった。

直ちに、気道と口腔、鼻腔内の吸引がされ、一〇〇%酸素をフラッシュ投与し(その後、ジャクソンリースによる投与。)、それと共に、背中を擦ったり、足の底を殴打したりして刺激を与え、また、アシドーシスの補正のため、メイロン二ミリリットル投与等した結果、午前八時三二分に自発呼吸が起こった。その後、被告医師は、胎便吸引症候群(MAS)の疑いで、愛染橋病院に電話して集中治療を依頼し、午前八時五〇分ころ、愛染橋病院から田中医師と後藤医師が来院し、気管内挿管をし、気管内を洗浄するなど、蘇生措置を施したのち、三郎は、愛染橋病院へ転院された。

三郎は、出生直後から痙攣が重積し、新生児早期から重度の痙性麻痺が出現し、経口哺乳もまったくできず、正常の精神運動発達は全く認められない状態であり、愛染橋病院において、低酸素性虚血性脳症、脳性麻痺と診断された。

その後、三郎は、低酸素性脳障害による痙性四肢麻痺やてんかん発作、小児脳性麻痺などの診断を受け、生活全般にわたって介助が必要な状態であった。

(四) 三郎は、平成一一年一月一三日、死亡した。その原因は、痙攣の重積による呼吸不全であった。

2  知見

(一) 分娩経過中に胎児仮死に陥った場合には、〈1〉 まず、母体の体位変換、酸素吸入、陣痛抑制などの経母体治療を行い、〈2〉 もし、胎児仮死所見の消滅をみれば、経過観察をし、〈3〉 胎児仮死の所見が不変又は悪化のときは急速遂娩を行い、〈4〉 胎児仮死が重症又は急激発症のときは直ちに急速遂娩(経母体治療併用)を施行すべきである。

(二) 経母体治療とは、急速遂娩までの補助的療法であり、〈1〉 母体の体位変換、〈2〉 酸素吸入、〈3〉 陣痛抑制、〈4〉 糖液静注、〈5〉 母体アシドーシス補正などである。

(三) 〈1〉 高度変動一過性徐脈から持続的な徐脈への移行の傾向、〈2〉 遅発一過性徐脈に細変動消失が加わったとき、〈3〉 正常状態から急激な徐脈への移行、などのような重症で急激な胎児仮死所見では、経母体治療を行いながら、直ちに急速遂娩を行うべきである。

また、胎児仮死の所見が比較的緩慢で軽症の場合でも、経母体治療が無効で悪化に向かうときには、急速遂娩を行うべきである。

重症の胎児仮死では一〇分以内、それ以外は三〇分以内の娩出であれば、児死亡を起こしにくいので、判断を迅速に行うことが最も大切である(なお、軽度変動一過性徐脈は急速遂娩を要しない。)。

(四) 分娩が進行して強い子宮収縮が起こるようになると、母体側の子宮胎盤循環血流量が減少し、絨毛間腔を流れる血流が減少する。このため、胎盤におけるガス交換不全を起こし、胎児への酸素供給の低下、炭酸ガスの蓄積を起こす。また、臍帯が子宮壁と胎児の間に挟まれ、子宮収縮の度に種々の程度に圧迫されて、胎児側の臍帯・胎盤間血流が低下することもある。これも、循環不全や胎児低酸素症の原因となる。

これらの変化がある程度を超えてくると、臨床所見を示すようになる。それが子宮収縮に伴って起こる徐脈である。

子宮収縮と関連して起こる徐脈には、児頭が小骨盤腔に陥入するなどして圧迫される場合もあるが、これは、胎児の予後と直接関係はない。

(五) 分娩時胎児仮死の診断は、以下のとおりである。

(1) 高度持続性徐脈

特に一〇〇bpm以下の持続的な高度徐脈は危険である(なお、一二〇bpm以下は軽度徐脈である。)。

(2) 遅発一過性徐脈

遅発一過性徐脈がおよそ一五分以上続いて出現すれば、胎児仮死といえる。胎児心拍数基線細変動の消失を伴う遅発一過性徐脈は重症の胎児仮死である。100bpm以下の持続的な徐脈に移行すれば甚だ危険である。

(3) 高度変動一過性徐脈

徐脈持続時間六〇秒以上、最減少心拍数(最も減少したときの心拍数)六〇bpm以下、波形はU字型で、一過性徐脈中でも細変動を伴う。この徐脈が頻発するときは胎児仮死(臍帯血管の閉塞の疑い。)といえる。回復時間が延長し、陣痛終了後、心拍数基線に戻るまで三〇秒以上を要する場合や、最減少点から心拍数基線に戻るまで四〇秒以上を要するものは重症である。持続的徐脈、特に一〇〇bpm以下への移行は危険である。なお、変動一過性徐脈の回復が遅れ胎児心拍数の低下が長引くものを遷延性徐脈という。

(4) 胎児心拍数基線細変動の消失

細変動の幅が五bpm以下に減少又はその消失は胎児仮死であるが、〈1〉 胎児の睡眠様安静、〈2〉 トランキライザー・鎮静剤投与の有無、〈3〉 麻酔、〈4〉 無脳児、〈5〉 未熟胎児の場合は除外される。

遅発一過性徐脈と合併する場合は重症な胎児仮死である。

(六) 胎児仮死の警戒徴候

(1) 二〇~三〇分以上持続する頻脈は胎児仮死の初期又は警戒徴候であり、特に一八〇bpm以上の高度頻脈は警戒が必要である。ただし、母体発熱や硫酸アトロピン投与時にも頻脈となるので鑑別が必要である。

(2) 軽度変動一過性徐脈(一過性徐脈の持続時間六〇秒未満、最減少心拍数六〇bpm以上。)は、胎児仮死ではないが、高度変動一過性徐脈への移行を警戒しての監視が必要である。

(3) 早発一過性徐脈は、胎児仮死ではないが、監視を続行すべきである。通常、数十分で消失することが多い。

(七) 回旋異常

(1) 妊娠、分娩時に胎児が頚椎を後方に屈して頤が胸壁から離れ、後頭を後方に後退し、児体全部がS字形を示すものをいう。

(2) そのなかで、前頭位とは、反屈の程度が頭頂位に次いで軽いもので、頭頂(大泉門)が先進する分娩のことである。先進大泉門は普通母体の前方恥骨結合側に向かって回旋する(前方頭頂位)。全分娩の一~一・三%にみられる。

(3) 前頭位の分娩経過としては、〈1〉 分娩遷延、〈2〉 頚管開大の遅れ、〈3〉 分娩外傷、仮死が多い、とされ、その予後として、〈1〉 母体には会陰裂傷、弛緩出血が多く、〈2〉 児には、仮死、分娩外傷の発生が多いとされる。

(4) これに対する治療としては、約六五%は自然分娩できるので、母児に危険な徴候が現れない限り、待機する。分娩の進行が停止した場合、あるいは第一期に母児のいずれかに危険な徴候が現れた場合は帝王切開術を施行する。分娩第二期に陣痛が微弱となり、分娩が遷延した場合は、CPDのないことを確かめた上、陣痛を促進し、吸引分娩ないし鉗子分娩を行う。会陰裂傷を起こしやすいので、十分な会陰切開を行う。

二  争点に対する判断

1  前記認定のとおり、午前六時五三分ころの人工破膜の後、胎児心拍数がそれまでとは異なったパターンで急激に低下し始めたこと、午前七時ころには、胎児心拍数はいったん回復したが、午前七時〇四分ころから、再び、徐脈が発生し、午前七時一七分ころまで持続的な徐脈ないし遅発一過性徐脈が認められたこと、午前七時一七分ころには、胎児心拍数が一二〇ないし一六〇bpmにやや持直したが、午前七時二四分ころから同三〇分ころまでに、再び、胎児心拍数が一〇〇bpmを下回る変動一過性徐脈が数回連続して起こり、その後、午前七時三〇分ころには、再び、胎児心拍数は、一二〇ないし一六〇bpmに回復したこと、午前七時二八分の内診の結果、第二前方前頭位という回旋異常が発生していたこと、このころ児頭の位置はステーション±〇~+一であったこと、被告医師は、人工破膜の際に羊水が混濁していたことや、その後の胎児心拍数の低下、回旋異常の存在等から、なるべく早く児を娩出させる必要があると考えたが、未だ、児頭の位置が高く、吸引分娩も鉗子分娩もできないと考えたため、児頭を下げるためにも、午前七時二八分ころ、アトニンOを投与して陣痛を強めようとし、また、そのころから、被告医師がクリステレル圧出法を、その後、大久保看護婦がクリステレル圧出法を施行したこと、クリステレル圧出法施行の影響か、午前七時三四分ころから、胎児心拍数が再び低下し始め、そのころから、胎児心拍数のベースラインが八〇bpmに低下する遷延性徐脈ないし持続的な徐脈が発生し、午前七時四四分ころから同五〇分ころまでの間に胎児心拍数は一〇〇ないし一四〇bpmへとやや回復したが、午前七時五〇分ころからは、八〇ないし一〇〇bpmに持続的に低下し、午前八時〇八分ころからは、八〇bpm以下の徐脈が持続し、細変動も減少してきたこと、被告医師は、午前八時一〇分すぎころから、吸引分娩に取りかかったが、二回吸引をしたところ、二回とも滑脱したため、鉗子分娩に切り換え、午前八時二〇分ころ、鉗子分娩によって、三郎が娩出されたことが認められる。

2(一)  分娩経過中に胎児仮死に陥った場合には、〈1〉 まず、母体の体位変換、酸素吸入、陣痛抑制などの経母体治療を行い、〈2〉 もし、胎児仮死所見の消滅をみれば、経過観察をし、〈3〉 胎児仮死の所見が不変又は悪化のときは急速遂娩を行い、〈4〉 胎児仮死が重症又は急激発症のときは直ちに急速遂娩(経母体治療併用)をすべきである。

(二)  そこで、本件について検討するに、午前七時三四分ころから、胎児心拍数が低下し、遷延性徐脈ないし持続的な徐脈になっており、その後、午前七時四四分ころから五〇分ころまで、やや胎児心拍数が持ち直したものの、その後、胎児心拍数は八〇ないし一〇〇bpmの範囲で変動している。

そして、本件においては、それ以前にも、午前六時五三分ころから午前七時ころまでの急激な徐脈の発生、午前七時〇四分ころから午前七時一七分ころまでの持続的な徐脈ないし遅発一過性徐脈の発生、午前七時二四分ころから同三〇分ころまでの一〇〇bpmを下回るような変動一過性徐脈の発生と、たびたび徐脈が発生し、全体としてみれば、午前六時五三分以降は、胎児心拍数は極めて不安定な状態を示していたといえるのであるから、被告医師には、再度の徐脈が発生した場合には、適時、適切な処置ができるように厳重な分娩監視が求められていたということができる。

そして、そのような経過の中で、再度、午前七時三四分ころから、ベースラインが八〇bpm以下になるような遷延性徐脈ないし持続的な徐脈が出現したのであるから、その徐脈の回復の遅延が明らかになった午前七時四〇分ころには、急速遂娩を考慮してその準備に取りかかるべきであり、その後、いったんは、持ち直しかけた胎児心拍数が、回復しないことが明らかになった午前七時五〇分ころには遅くとも明らかな胎児仮死と判断して、直ちに吸引ないし鉗子分娩を実行すべきであったというべきである。

また、急速遂娩を考慮すべきであった午前七時四〇分ころの段階で、児頭の位置との関係による吸引分娩ないし鉗子分娩の困難さや、回旋異常の存在等による分娩遷延の可能性などから早急な経膣分娩が困難であると判断した場合には、直ちにアトニンOの投与を中止して、経母体治療を行って胎児心拍数の回復を期待しながら帝王切開に切り換えるべきであった。

(三)  しかるところ、被告医師は、吸引分娩ないし鉗子分娩をするには児頭の位置が高いと考えており、また、回旋異常が存在していることも併せて考えれば、早急な経膣分娩が困難であることは、予測できたにもかかわらず、急速遂娩を考慮すべきであった午前七時四〇分の時点で、帝王切開による分娩を選択することなく、経膣分娩の方法を選択し、アトニンOの投与によって陣痛を強め、また、クリステレル圧出法を施して児頭の下降を試みはしたが、午前七時三四分ころに現れた徐脈の回復が遅延し始め、その後、回復することがないことが明らかになった午前七時五〇分ころになっても、直ちに吸引分娩ないし鉗子分娩に取りかかることをせず、午前八時一〇分すぎまで、看護婦をして漫然とクリステレル圧出法を繰り返して、児頭の下降を図るのみで、胎児心拍数が低下するに任せていたのであるから、右被告医師の措置には過失があるといわざるを得ない。

(四)  ところで、被告らは、被告医師は、午前七時五〇分ころから直ちに吸引分娩に取りかかり、五、六回ほど吸引分娩を行い、最後の二回が滑脱したため、午前八時一五分ころに、鉗子分娩に切り換えて、午前八時二〇分ころ、三郎を娩出したのであるから、過失はないと主張し、それに沿う被告医師の供述も存在するものの、カルテ(乙一)の記載(八時一五分 吸引分娩施行 二回滑脱+)からは、午前七時五〇分ころから吸引分娩に取りかかったとは読みとれないし、右の被告医師の供述を明確に否定する原告らの供述に照らしても被告医師の右供述を採用することはできず、他に被告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

なるほど、アトニンOの投与及びクリステレル圧出法そのものも一種の急速遂娩ということもできようが、本件においては、前記認定のとおり、アトニンOの投与及びクリステレル圧出法は、吸引分娩ないし鉗子分娩をするために、児頭の位置を下げるために行ったものであり、胎児の娩出方法として使用したのではなく、逆に、吸引分娩ないし鉗子分娩を行うことができないほどの高位にある児頭を下げるためにクリステレル圧出法を用いることは胎児への悪影響が大きいこと(鑑定、甲三七参照。)などからすれば、午前七時二八分ころからアトニンOの投与ないしクリステレル圧出法を行っていたことによって被告医師が過失を免れるものではない。

(五)  以上のとおり、被告医師の原告春子に対する分娩監視には、不法行為における過失があったといわざるを得ない。

(六)  そして、本件においては、前記認定のとおり、被告医師は、午前八時一〇分すぎから吸引分娩に取りかかり、その後、鉗子分娩に移行して午前八時二〇分には胎児を娩出したことからすれば、午前七時五〇分ころに直ちに吸引分娩ないし鉗子分娩に取りかかっていれば、ほどなく、胎児を娩出することができ、その結果、三郎に障害が残らなかった蓋然性が高い。

また、急速遂娩を考慮すべきであった午前七時四〇分ころに早急な経膣分娩が困難であると判断し、直ちに、アトニンOの投与を中止して陣痛の促進を中止し、陣痛を抑制するなどの経母体治療を行って胎児心拍の回復を待つと共に、帝王切開の準備を行って帝王切開をしておれば、仮に帝王切開の実施にまでに四五分ないし一時間の時間がかかったとしても、経母体治療の効果によって、胎児へのストレスを軽減しておれば、三郎に障害が残らなかった蓋然性は高いといえる。

(七)  とすれば、被告医師は、民法七〇九条に基づき、被告法人は、医療法六八条、民法四四条一項に基づき、原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一) 三郎の損害

(1) 逸失利益

前記のとおり、三郎は、出生直後から、重度の障害を有し、将来的にも労働能力を一〇〇%喪失していたものといえ、その後、平成一一年一月に死亡したものであるから、平成四年度の賃金センサス・産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・一八歳ないし一九歳の平均年収を二三五万三三〇〇円とし、就労可能年数を四九年とし、生活費控除を五〇%として、新ホフマン式で計算する。

二三五万三三〇〇円×一六・四一九×(一-〇・五)=一九三一万九四一六円(一円未満切り捨て)

(2) 慰謝料

本件に現れた一切の事情を考慮すれば、三郎の慰謝料は、一六〇〇万円が相当である。

(3) 介護費用

三郎は、佇立ができず、食事・排泄・入浴等の日常の起居動作について全面介助を要する状態であり、また、精神・知能活動もゼロに等しく、この状態は生涯続くものであった。一方で、通常の幼児の場合にも、出生後、数年間は介護の必要があることを考慮すると、介護費用としては、日額五〇〇〇円が相当であり、三郎が出生した平成四年六月一七日から死亡した平成一一年一月一三日までの期間(二四〇二日)を計算する。

五〇〇〇円×二四〇二日=一二〇一万円

(4) 右合計 四七三二万九四一六円

(二) 原告らの損害

(1) 相続

原告らは、三郎の右損害賠償請求権を各二分の一(二三六六万四七〇八円)ずつ相続した。

(2) 慰謝料

本件に現れた一切の事情を考慮すれば、原告らの慰謝料はそれぞれ、二〇〇万円が相当である。

(3) 葬儀費用

前記のとおり、三郎は、痙攣の重積による呼吸不全を原因として死亡したが、右痙攣の原因は本件事故に起因すると認めるのが相当である。

とすれば、本件事故と相当因果関係を有する三郎の葬儀費用としては、一〇〇万円が相当であり、原告らの損害をそれぞれ五〇万円とする。

(4) 弁護士費用

被告らに負担させるべき弁護士費用は、原告ら各自二六〇万円が相当である。

(5) 右合計 各自二八七六万四七〇八円

三  以上の次第で、原告らの請求は、原告ら各自に対し、各金二八七六万四七〇八円及びこれらに対する平成四年六月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから、右の範囲で認容し、その余は理由がないから棄却することとする。

(裁判長裁判官 渡邊雅文 裁判官 阿部静枝 裁判官 川上宏)

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